2019、3、29
振り返ると、年が明ける前に国家試験受験申請書なるものを請求し、それが送られて
くると申請書の書き方の説明が授業で行われた。
この申請書の作成に間違いがあると、受験できないことにもなりかねないからだ。
そして受験料として数万円が必要となる。
もし合格するとアハキ師名簿(按摩・鍼・灸師の名簿)に登録するのにまた数万円必要
となる。
その受験申込書を郵送してしまうと、数日後に受験票が送られて来る。
手にしたカードに記された自分の五桁の受験番号と名前を確認した時に、ああいよい
よなんだな、と思った。
試験会場に持って入るものは、プレストーク(会場で配られるCDロムを入れて再生
して問題が朗読される弁当箱ぐらいの機械)、パーキンス(点字をうつためのかなり重
いタイプライターのようなもの)、それと受験票。
これらの道具はどうしても必要なものなので、在学中に購入した(費用の一部は国か
ら支給されるが、パーキンスなどは半分の¥70000を自己負担した)。
どれも機械なので、当日故障なんてことになったら大変である。
試験前のメンテナンスにも費用が掛かった。
入学した時には点字もほとんど読み書きできないし、音声ソフトによるパソコン操作
も手探りだった。
でも三年間必要に迫られて使いこなせなければ置いて行かれる、という切迫感の中で
どれも今や使いこなしている。
試験前に、パーキンスのキーをパタパタと指で叩く僕の横で、ある先生が「人間とい
うのは大したもんやな」と感慨深くおっしゃったのを覚えている。
これも自分自身の中にある気付かなかった能力の一つである。
ここ視覚支援学校理療科では、晴眼者として普通に生活していた者が、突然失明して
2・3年引きこもった後、資格を手にするため入学し、今まで触れたこともない医学
の勉強を始めるとともに、やったこともない点字を一から勉強して、右も左も分からな
いまま日々の困難極まりない授業についていくという、想像も絶する苦労を乗り越え
る人たちが少なくないのだ。
しかもその中にはすでに60歳を超えている人もいる。
そういう人たちを見ていると、僕なども甘えたことは言っていられない。
そして三年間がむしゃらに生きてみると、必要にさえ迫られればここまでこなすこと
のできる器用さを自分もある程度は持ち合わせているのだ、と発見することができた。
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