2020、4、12
僕が母を思い返す時、いつも瞼に浮かぶいくつかの時代の映像がある。
まず最初に浮かぶのは、窓から降り注ぐ午前の日差しを受けて明るく光る玄関の床に
四つん這いになって雑巾がけをする若い母の姿である。
僕はおそらく4歳ごろ、母は28歳というところであろうか。
その次は小学校一年に入学する前の学校訪問である。
弱視である僕を盲学校に入れることを深く悩んだ母は、おそらく決心できぬまま学校
へ相談に行ったのだと思う。
北大路通りを走る路面電車の駅を降りてから盲学校に着くまで、母は一言もしゃべら
ず、僕の前をどんどんと歩いて行く。
一体どうしたのだろうと僕は思いながら母の背中を眺めて歩いた。
その思いつめたような背中を今もよく覚えている。
次は盲学校小学部4年生の時、担任の先生が厳しい人で、それが嫌さに二人のクラス
メイトと共に学校を脱走して、6時間ほど歩いて僕のお婆ちゃんの家まで行った時の
ことだ。
そういう時にお婆ちゃんを求めるということは、やっぱりお婆ちゃんが好きだったの
だろう。
担任の先生が車で迎えに来て、学校の門を入ると、そこに三台のパトカーが止まって
いた。
三人の母たちが僕たちを引き取りに来て、家に帰るまで僕は酷く叱られると思ってい
たが、母はずっとにこにこ笑っていた。
何故なのかは僕にはさっぱり分からなかった。
次は僕が23歳のころである。
そのころ僕は大学院生で、学校を終えて帰って来た時にはもう暗くなっていた。
家に入り、誰もいないと思った暗い居間の明かりをつけると、そこにジャケットと帽
子をかぶったままの母が炬燵に座ってぼーっとしていた。
「なんやいたんか、なんで電気も着けずにいる?」と僕が驚いて尋ねると「あー」と
そのことに初めて気づいたように力なく声をあげた。
あの時おそらく父の入院している病院に呼ばれて、父の余命を告げられたのだろう。
母は父が亡くなる2週間前まで、僕と妹に事実を明かさなかった。つづく
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