石川達三という作家の「生きている兵隊」という作品を読んだ。
読み終わった時、強いショックが残った。
これは限りなく事実に沿ったフィクションであると言われる作品だからである。
一個連隊が南京攻略のために目的地まで向かう間を描いたもので、その一個連隊の中
の4人ほとの男たちにスポットを当てた話である。
石川氏は実際に従軍作家として戦場に駆り出された中でのルポを、そのまま何の思想
も考慮も交えず作品とした、と述べている。
言い換えれば日本軍側に立たず、中国一般庶民側に立つこともなく事実に基づいて描
いたと。
だからこそ事実の前に大きな衝撃を受けたのである。
四人の登場人物にはそれぞれに人間的な迷い、葛藤、錯乱、精神的分裂の様が人間臭
く描かれ、個人に寄り添った描写も含まれる一方、銃弾が頭の上を飛び交い、さっき
まで話をしていた戦友が横でどんどん死んでいく戦禍の中、今日か明日にも死に至る
かもしれない異常なストレスの中で、人間的平衡を失って行く彼らの様が描かれる。
結果彼らは完全なサイコパスへと変貌し、現地の非戦闘員に対し略奪、強姦、殺人を
繰り返す。
陥落した南京では町へ出かけて行ってはクーニャンを凌辱し、目的を果たした後には
それを殺戮して、彼女たちの指輪を自分の指にはめ換えて公然と帰って来る。
夜には酒を酌み交わしながら指輪を見せびらかし、今日手に掛けたクーニャンのこと
を笑いながら話す。
厨房で働かせている中国の青年の一人が棚から砂糖を盗んで舐めた、というだけで言
い訳もきかずにその場で刺殺する。
この4人の中には無教育な者はなく、元医学生、小学校の教師などもいる。
ここでは敵国の人間は虫けら以下であり、いくら殺戮しても、強姦しても全く咎めら
れることはなく、その行為を公然と認められている。
そこには戦闘員が戦闘服を脱ぎ捨てて一般庶民に紛れ込んだ、という理由もあるが、
結果南京の町で数十万の現地の人々が殺戮された、いわゆる南京大虐殺が行われる。
人間が凶暴な鬼と化すのは、なにも戦禍の中だから、という訳ではないのだろうと思う。
もし今でもそのような状況に置かれたら、教育も何もかも吹き飛んで、男たちは鬼と
化すだろう。
まさか、と笑うかもしれない。
いや、人間の中の潜在的サイコパスは教育と倫理でインスタントに封印されているだ
けで、いつその戒めを破って恐ろしい姿を露わにするか分からないのだ。
我々の奥底に潜む鬼を思う時、いつも僕の背筋には戦慄が走る。