2018、4、12 その治療院に長く通うこととなった。 そこでは鍼灸師の先生方が治療について互いに相談したり、報告し合ったりする。 その話が患者に全部聞こえることになる。 後に勉強して知ることだが、本来施術者には守秘義務という法律があって、患者様の 個人情報を他の者に漏らせば法に触れる。 しかしその時の僕は施術台の上に横になりながら、彼らの話に耳を傾けるのがとても 好きであった。 専門用語ばかりで何を言っているのか分からないことがほとんどだったが、彼らが僕 の体のことや、治療方法などについて夢中で話し合ったり、意見を述べ合ったりして いるのはとても興味深く、何よりも施術へのそのひたむきさに惹かれた。 そして彼らは自分たちの仕事が楽しくて仕方ない、という風である。 できることなら、自分もこの分野で他人の苦しみを和らげることのできる仕事がして みたい。 そう強く思ったが、何しろ自分は10代のころから音楽一本で生きて来た。 鍼灸師になるには三年間学校に通い、朝から晩まで授業を受けて、最後に国家試験に 臨まなければならない。 この年になって、今更そんな人生の大転換が自分にできるだろうか。 でも目の不自由な僕は、音楽の世界では数限りないハンディーを抱えている。 音楽家として活動して行く希望は、ほぼ閉ざされていると言っても過言ではない。 それでも今まで周りの人々の力を借りながら何とか無理矢理にでもやって来た。 それに比べて鍼灸は、昔から視覚障碍者の仕事として技術が伝えられてきた分野だ。 ここならハンディーをそう感じることもなく、自分の技術を磨いて行くことのできる 仕事ができるのではないのか。 その時の僕にはそれが楽観的過ぎる見解であることに気付く術もなかった訳だが。 しかし「この年で勉強に付いて行けるのか」「今までやって来た音楽の仕事をどう整 理するのか」「家庭を持ちながら生活費の問題はどうするのか」など、様々な問題が 山積し、何よりも未知の全く違う世界に足を踏み入れる勇気が持てぬまま、それから 10年が過ぎた。